山奥の桜の下で一人(正式には山羊さんと一緒に)
パソコンを開きながら亡き母のことを思い出していました。
この季節になると56歳で亡くなった母をいつも以上に近くに感じます。
「桜の散る頃には…」と、
余命宣告を受けたのは21年前の2月中旬でした。
それからたった2か月後に本人の希望通り
自宅で眠るように亡くなりました。
今年のお花見は自粛。
「来年も桜は咲きますので…」
と、政治家が言うたびに
来年の桜を見ることはできないと覚悟している人も
いるはずと、また母を思い出します。
“死をもって、生をおもう“。
母の死を経験しておもうのは
「今」に生きること。
母と死に別れたあと、悲しみも寂しさも後悔も残りました。
それでも今できることをしながら目の前にはいない母を、
生きていたとき以上に近くに感じながら生きています。
目の前には見えないけどその存在に話しかけたり、
感謝したり、謝ってみたり、
いろいろとたずねてみたり…。
これから何が起ころうと、
まぁ、生きている限りは
できることがあるから。
「奈津子は、大丈夫よ」
また母の口ぐせが聴こえてきました。
花見は予祝だから…
あ〜、愛する人と一緒に笑顔で食卓が囲めて幸せだなー。
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